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magoはヘアーサロンです。
髪を切って、心が晴れ晴れするサロンでもありながら、コミュニティーの場でもありたい・・・と、日々頑張っています。

これからも、日々得た情報を、magoフィルターを通してお伝えさせて頂きます。
ブログに掲載する内容は、色々な方から得たお話です。

今日は 輝く未来ビトさんから
【象を上野動物園へ!】

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第二次太平洋戦争の最中のことだった。

上野動物園にいた猛獣類は、「脱走の恐れあり。危険」とされ、
軍の命令で24頭が殺処分された。

ライオン、豹、虎、ニシキヘビなど24種にのぼり、
その中に、二頭の象も含まれていた。

そのため、戦後の猛獣類のいない上野動物園は、
象舎に豚が飼われるなど、家畜園のありさまとなった。

戦後、新しい国家となった民主主義の教育の一つに、
「子ども議会」という学習活動があった。

子どもたちの手で身近な問題を解決していく活動で、
国会や地方議会を模倣し、討論会や決議を行い、社会に訴えていくものだった。

その「子ども議会」の一つ、「台東区子ども議会」で、
昭和24年5月1日、こんな決議がなされた。

「上野動物園に象がほしい。名古屋から本物の象を借りてこよう」

当時、日本に残っていた象は三頭。

京都の一頭は戦後すぐに死んでしまい、
名古屋市東山動物園の二頭が残っていた。

その二頭のうちの一頭を上野動物園に借りて来よう、という決議だった。

この運動のきっかけは、「毎日小学生新聞」に掲載された、
小学校3年生・近藤くんの手紙だった。

「ぼくのいもうとは、ぞうをしりません。なんとかして買ってください」

そう記され、10円の為替を入れた手紙は
上野動物園の古賀園長に送され、それが報道されたのだ。

戦後、子どもたちにとっての動物園は、
食糧難にあえいでいた中でも、唯一の遊び場所。

上野動物園には、年間8万人が訪れていた。

子ども議会で決議されたのち、選ばれた代表者2名は、
100人を超す級友たちに見送られ、夜行列車で名古屋へ向かった。

そして開かれた、名古屋子ども議会で、2人はかわるがわる訴えた。

「私たち東京の子どもたちは、本物の象を見たい。だから一時的に、名古屋の象を借りたい」と。

東山動物園へ向かった2人は、本物の象に驚くばかりだった。

サーカスにも所属していた2頭の象は芸達者で、動物園の人気者だった。

「これは、ぜひ、東京の仲間たちにもみせてあげたい!」そう思った。

ところが、2頭は高齢のため、輸送が難しかったこと、
そして、これまで2頭で生活していたところを、1頭だけ引き離すことも難しかった。

そのため、決議を一任された市長は、

「貸すことはできないが、その代わり、見に来てもらおう。そのための、象列車の運行をする」

ことを決めた。

それから1ヵ月ほど経った頃、15両編成、1500人を乗せた特別列車「エレファント号」の第一号が、子どもたちの夢を乗せ、運行を開始した。

東京だけでなく、大阪、京都からの子どもたちも数多く、列車に乗った。

ところが、、、だった。

新幹線のなかった時代、東京から名古屋の距離は時間がかかり過ぎ、「エレファント号」は数ヵ月で取りやめになってしまった。

それでも、子どもたちは、「上野動物園に象を」諦めなかった。

台東区子ども議会は、参議院議長あてに請願書を提出。

「国会議員の先生方のお力で、マッカーサー元師を動かして、
象をはじめ珍しい動物をアメリカから輸入してほしい」

そんな内容だった。

正式に受理された請願書は、その後、委員会で議題として取り上げられ、審議された。

その「上野に象を」の運動は、都内全域に広がり、大きな運動になっていた。

すると、こうした子どもたちの運動をしったインドの貿易商・ニヨギ氏は、ネール首相にこの話を伝えて、
何とか実現するようお手伝いしましょうと、都民生局を通じて申し出てきた。

そして、子どもたちは早速、ネール首相宛のお願いの作文や図画1500点を集め、
ニヨギ氏に首相まで持っていってもらうことになった。

それから2週間後のことだった。

インド・ニューデリー発の外電は、こう報じた。

「1500通のいじらしい童心にうたれたネール首相は
“象をみつけることは簡単だが、送り方がむずかしい。
一頭の象の輸送方法をいま考えている”と語った」

・・・‥ついに、子ども達の象に向けたひたむきな運動は
はるばる海を越え、ネール首相の心を動かし
一頭の象が上野動物園にやってくることになったのだ。

昭和24年9月23日、インドから一頭の象「インディラ」を乗せた船は芝浦港に到着。

そこから深夜に、上野動物園までのおよそ9キロを、歩いて向かい、
沿道のたくさんの見物人や動物園前で待つ1万人の人たちに迎えられ、
インディラは上野動物園に到着。

インディラ初お目見えとなる動物園には、午前11時から5万人の入場者で賑わった。

戦後4年を経たばかりの物資不足に悩む当時の日本で、
台東区子ども議会が中心となって起こった運動は、
やがて大きな輪となって、はるばる海を越え、
心と心を結ぶ友情の輪となり、暗い世相の中にあって、
後世に残る明るい話題となったのだった。

当時のインドも、イギリスから独立して2年余。

国内はきわめて困難な状態だった。

にもかかわらず、ネール首相の粋な計らいによって、
日本の子ども達の心は明るくなっていったのだった。

象が贈られる際、ネール首相は、このような手紙を、子どもたちに向けて送った。

「日本の子供達えおくる言葉」(訳文)

皆さん

私は皆さんの御望に依って、印度の象を一頭皆さんえ御贈りすることを、大変嬉しく思います。

此象は見事な象で、大変に御行儀が良く、そして聞く所に依りますと、

体に縁起の良いしるしをすっかり具えているとの事です。

皆さん此の象は、私からのではなく、印度の子供達から日本の子供達えの、贈物であると御承知下さい。

世界中の子供達は、多くの点で似かよっています。

ところが大人になると変わり出して、そして不幸な事には、時々喧嘩をしたりします。

私達は此の様な大人達の喧嘩を止めさせなければなりません。

そして私の願は印度の子供達や日本の子供達が成長した時には、

夫々の自分達の立派な祖國の為ばかりにではなく、

アジアと世界全体の平和と協力の為にも尽くして欲しいという事です。

ですから、このインディラという名を持った象を、

印度の子供達からの愛情と好意の使者として考えて下さい。

インディラは、東京でたった独りぼっちで、

或いは少し淋しがって遊び友達を欲しがるかも知れません。

若し皆さんの御望みならば、インディラがこれから自分の住家としてゆく新しい國で、

幸福になる様に、御友達の象を一頭送る様にする事も出来ます。

象というものは立派な動物で、印度では大変に可愛がられ、而も印度の特に代表的なものです。

象は賢くて辛棒強く、力が強く而も優しいものです。

私達も皆象の持つこれらの良い性質を、身につける様にしてゆきたいものです。

終に皆さんに私の愛情と好意とを送ります。

ジャワハルラル ネール

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想いが形になるっていいてすね。

おしまい。

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今日は 魂が震える話より
『メメント・モリ』

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「メメント・モリ」という言葉の意味を知っていますか?

ヨーロッパの中世末期、盛んに使われていたのが「メメント・モリ(mementomori)」という言葉だった。

これはラテン語で「いつか自分が死ぬことを忘れるな」の意味。

「死を記憶せよ」などともいわれ、最近では音楽や小説、美術などのテーマやモチーフなどにも使われてきた。

「生きることとは何か?」とは「死ぬこととは何か?」を知ることでもあると私は思っている。

キリスト教的な宗教観が絡んでくると、この言葉は「天国・地獄・魂」の救済と色濃く結びついてくるので、ここではあえて言及しない。

「死」の本質を問うには、私はあまりにも知識と感性を持ち合わせていないという理由もある。

ただ、生きていくための動機として、死を見つめることは意義のあることだと考えている。

ところが、「死」を考えることはできても、その答えを出すことはできない。

「死」とは「生ではないもの」としかいいようがなく、ようは「生と死」とは、「ある」か「ない」かの世界だ。

_______

「超一流の二流をめざせ」
長倉顕太 著
サンマーク出版より

http://www.dokusume.net/shop/product/pg154736.html

______

芸術家の岡本太郎さんは、こんな言葉を残しています。

「強烈に生きることは常に死を前提としている。
死という最もきびしい運命と直面してはじめていのちが奮い立つのだ」

喜劇俳優チャップリンさんは、
「死と同じように避けられないものがある。
それは生きることだ」
と言いました。

フランスの作家・政治家アンドレ・マルローさんは、
「僕が死を考えるのは、死ぬためじゃない。
生きるためなんだ」
と言っております。

武士道の元ともいわれている「葉隠」では、「朝毎に懈怠(けたい)なく死しておくべし」と言い、簡単に言うと「毎朝、死ぬ練習をしておきなさい」と言う意味で、イメージの世界で死ぬ練習をしたんだそうです。

おそらく、死をリアルに感じれば感じるほど、生が輝くということを知っていたのでしょう。

生まれた以上、必ず訪れる「死」。

それを本当の意味で知っている人は、今を懸命に生きるのでしょう。

この話は、メルマガ”魂が震える話”で紹介されていました。
00526431s@merumo.ne.jp

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瞬間をも意識出来るように頑張ります。

おしまい。

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今日は 輝く未来ビトさんから
【自分で決めなさい!】

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「自分で決めなさい」

彼は、事あるたびにそう言われて育った。

両親はふたりとも極めて有能だった。

父親は食品の商社を経営し、母親は大学教授で医師。

その一方で、彼らは子供の教育に大きな力を注いだ。

二人の口癖は、子供にこのように言うことだった。

「自分で決めなさい、そのために必要な情報は、全て教える。

私たちに聞いてもわからないことは自分で調べなさい。

調べ方のアドバイスは喜んでしよう。」

彼は、小学校入学とともに、すべてを自分で決めるように言われた。

小学校に何を持って行くべきか。

宿題をやるべきか。やるとすればどのようにやるか。

中学受験をすべきか、塾に行くべきか

どのような本を読むべきか

ゲームをすべきか

遊ぶべきか

そして、親は彼が決めたことには、どのような結果になろうと一切口を出さなかった。

だが、彼が困って相談した時は、全力でそれをサポートした。

もちろん、彼が小さい頃は、「わからない」といっていろいろなことを投げ出したこともあった。

夏休みの宿題を「やらない」と決めた時も、親は一切口を出さず、彼の言うがままに任せた。

結果、彼は学校で恥をかき、先生にひどく叱られた。

先生が見かねて両親に「お子さんに宿題をやるように言って下さい」と依頼した際も

「うちの子供が自分で決めることです。その代わり、結果については責任を取らせて下さい」とはねつけたそうだ。

彼は悩んだ。

「なぜ、うちの両親は私の事の何も決めてくれないのだろう」と。

友達は両親に「あれをやれ」「これをやれ」と、教えてもらっているのに。

そしてあるとき、彼はテストで不正をした。

不正は当然、先生の知るところとなり、

先生は両親に「お子さんがカンニングをした」と、知らせた。

両親は一言も怒りの言葉を発せず、彼に言った。

「このまま不正を続けるか、不正をせずに正々堂々と取り組むか、自分で選びなさい。

選択の結果が人生を作る。

ただし、お前に言っておこう。

不正を繰り返す人間の周りには、不正を繰り返す人々が集まる。

お前が今後どのような人々と交わっていきたいのか、よく考えなさい。」

彼は自分で考え、「不正をしない」ということを選んだ。

そして、彼はそこから突然気づいた。

「そうか、自分の人生は、自分しか決めることができないのだ。」と。

そして彼は変わった。

自ら勉強し、望みの学校へ入り、大学は海外へ奨学金をとって留学した。

彼は常に成績上位であり、遂には望みの職業についた。

それは、彼が自分で選択したことだった。

彼は、「自分で選択したことが、自分の人生をつくっている」と確信した。

彼は言う。

「私が両親から教えてもらった、人生を後悔しないための3つの大事なことは、

「自分の頭でよく考えなさい」

「自分で選択しなさい」

「責任を引き受けなさい」

という、本質的な原則だ。

「決める力」は訓練しなければ身につかない。

時にはつらい選択もある。

でも、「自分が選んだ」と思うことが、一番大事だとおもう。

(「知と知を繋ぐBooks&Apps」より)

人生って、ほんとうに、選択の連続。

「自分で決める」って、本当に大切。

すごく、子育てにも、自分育てにも、参考にしたいと思いました。

それでは、愛と笑顔と感謝、そして幸せに満ち溢れた一日を♪

-*-*-今日の輝く言霊-*-*-

両親から教えてもらった、

人生を後悔しないための3つの大事なことは、

「自分の頭でよく考えなさい」

「自分で選択しなさい」

「責任を引き受けなさい」

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自分の選択と責任でありたいです。

おしまい。

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今日は 魂が震える話より
「共感」

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「もうこれだけは絶対に覚えて来世に向かって頂きたいのです。
この『共感』さえ身につけることができれば、何度人生を繰り返しても不幸になりようがありませんから」

「もしあなたが生前、お客さんの気持ちに共感できていたらどうだったでしょう?
お客さんの抱える問題や悩みに共感できていたら、あなたはあれほど自分の仕事を嫌いになることができたでしょうか?」

「人間関係だってそうですよ。
あなた、生きているとき、死ぬほど嫌ってた人がいましたよね?
でも、あの人にもつらいことや苦しいことはあったんですよ。
もしあなたがあの人の立場に立って、その気持ちに共感できていたとしたら、向こうだってあなたのことを心底嫌いになれなかったはずなんです。
自分の気持ちを分かってくれる人を、人は嫌いになりようがありませんから」
_______

「四つ話のクローバー」
水野敬也 著
文響社 より
_______

「共感」を辞書で調べると、他人の意見や感情などにそのとおりだと感じること。また、その気持ち。

人はどうしても、自分の事を優先的に考えますし、商売も人間関係も、自分事として「自分側」から見がちです。

多くの人がそうだからこそ、相手側の気持ちに寄り添える人、「共感」してくれる人はやはり好かれていきますし、商売でも「お客さんの気持ち」を感じ取れる人がお客さんから喜ばれていると思います。

共感を得るのではなく、「共感する」ということです。

簡単な方法は、「相手の立場を考える」よりも「相手になる」ことです。

相手になりきって、相手の感情を感じるほどに考えたなら「共感力」は上がるかもしれません。

また、商売だったら自分も同じ業界の「お客さん」になることです。

そうすると、お客さんの気持ちが見えてきます。

同じ位の不幸を体験していない人に、その辛さを分かれと言っても難しいかもしれませんが、想像することはできますね。

共感力を上げて、気持ちに寄り添える人でありたいですね♪

00526431s@merumo.ne.jp

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自分を脇に置いて見ることですね。

おしまい。

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今日は たすいち さから
『濁りが取れるとやってくる』

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神様とヤクザは一緒
いいことも悪いことも、
きっちり落とし前をつける

北川八郎先生

いいことを続ければ
いい結果が来るし

良くないことを続ければ
それに応じたが結果が
ちゃんと来てる

それも、
ここで、というくらい
大事な局面で来る

一代で財をなした名士、政治家が
晩節を汚す

なんで今?

なんて思うけれども、

そんな人が居るのは
そんな理由だそう

5年後、10年後を思うだけで、人生が変わる

ただし、掴みにいっては、
握れるものが少しだけ

待って、
いただこうと、手を出せれば
たくさん乗っかってくる

5年後、10年後を思うだけで、人生が変わる

ただし、
濁っている時はやってこない
濁りが取れたときにやってくる

良い農夫が良い種を蒔いたとて
決して豊作とは限らない

謙虚に前進あれ

将来に想いを馳せながら

良き種を巻き続けたい

a0001470170@mobile.mag2.com

~ ○ ~○ ~ ○ ~ ○ ~ ○ ~ ○ ~ ○ ~ ○

謙虚に前進ですね。

おしまい。

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今日は 輝く未来ビトさんから
【ずっと探し求めていた魔法】

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これは、今のスリランカがセレンディップ王国と呼ばれていた頃のお話です。

むかしむかし、
地球の果ての遥か遠くのあるところに、ジャイヤという名の偉大な支配者がいました。

ジャイヤ王の国はセレンディップ王国といい、
エメラルド山には高い木々が生い茂り、
豊かな大地はうるおい、
ハスの花が人々の目を楽しませていました。

ジャイヤが王様になってまもなく、3人の息子が産まれました。

息子が一人ずつこの世に産まれるたびに、
黄金の羽と火のような目をした珍しい鳥が、空から舞い降りてきました。

けれどもその鳥は、
古くから神聖とされるグレートセレニティ山の近くの谷間に住む子供たちにしか見えませんでした。

子供たちは鳥を見上げ、その素晴らしい姿に歓声を上げました。

他の人々は、甘いケリバスや大きくて赤いオオバコの実を食べて楽しんでいたので、
空を見上げることはありませんでした。

ジャイヤ王にもまた、その鳥が見えませんでした。

なぜなら、息子たちが産まれたことを喜んではいたものの、
たくさんの悩みがあって頭を低く垂れていたからです。

その国を治めていたジャイヤ王は、3人の王子たち、
バラクラマとヴィジャヨ、そしてラジャーシンハを旅に行かせました。

実は、王の座を狙っている者は多く、
「自分が永遠に支配者でいるわけにはいかない」
ということを、王は分かっていたので、
ジャイヤ王は3人の息子の教育について深く考えました。

【美徳】【知恵】【学問】

この三つのことを将来優れた支配者になるために学んでほしい、と思いました。

ジャイヤ王は大変賢かったので、それを実現するために、
自分よりもっと賢い人々に息子たちの先生になってくれるよう、
国の中からも外からも来てくれるように頼みました。

王様が高名な先生たちに、王家の後継ぎたちを教育しに来てくれるよう強く説得すると、
ほんの数人だけ、その海を渡ってやって来てくれることになりました。

若い王子たちは何年ものあいだ、誰にも邪魔されずに
先生たちから学ぶことができました。

毎日毎日授業は続き、ついに王家の3兄弟が背丈も伸び、大人と呼べる日まで続きました。

同じ頃、王国の周りの海にはドラゴンが現れ、王様はこれに悩んでいました。

ジャイヤ王は、3人の王子たちに、
「男の周りの海で暴れるドラゴンを退治する秘薬の調合法を求めて旅に出ろ」。

その旅の途中、3 人の王子たちは、様々な苦難に会いますが、
機転や創意工夫、そして勇気をもって立ち向かうことによって、一つ一つ克服していきました。

この旅の目的はそのドラゴンを退治する秘薬の調合法を探すものでしたが、
同時に王位継承の修行の旅でもありました。

3人の王子たちはその旅のなかで、いろいろな経験をし、
ときには危機的な状況に陥りますが、
持ち前の機知を働かせながら人格と知恵と勇気を磨き、
人間として大きく成長して母国へ帰ってきました。

ドラゴンを退治するための秘薬の調合法が入った銀の筒は、最後まで手に入れられず、
筒を手にしたときに中身は灰になっていました。

王子たちは王が命じた秘薬の調合法を探し当てられなかった残念な気持ちで国に帰るのですが、
銀の筒をくわえた黄金の鳥が現れ、筒に入った液体を垂らすと、
セレンディップの海で暴れていたドラゴンはいなくなり、水不足だった大地からは水が吹き出します。

三人の王子たちは最後に気付きました。

目の前にある問題や物事に真剣に取り組む勇気や知恵があってこそ、予期しない発見があり、
目を上げて夢見る者には黄金の鳥が視界に舞い降り、涙が宝石に変わるチャンスを得るのだと。

そして、ずっと探し求めていた魔法は自分の中にすでに備わっているということにも。

~~~~

18世紀のこと。

イギリスの作家、ホリス・ウォルポールは、
知人のイタリア英国公使のホリス・マンと45年にも渡り文通をしていました。

その手紙のやり取りの中で、
「何事かに集中している時に、ふと本来自分が探していなかったものを見つけ」たり、
「大切なことに気づく」ことがわかりました。

この「偶然と才気による予期しない発見」をする力を、
あれこれ言葉を並べて説明するよりも、
「セレンディップの三人の王子たち」のストーリーになぞらえて
「セレンディピティ」と呼ぼうではないか、
と決めたのがこの素敵な言葉の始まりと伝えられています。

それでは、愛と笑顔と感謝、そして幸せに満ち溢れた一日を♪

【輝く未来ビト】 
00576250s@merumo.ne.jp

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結果を恐れずに取り組む事ですね。

おしまい。

magoの挑戦

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「『感動』の方程式とは?」
人が感動するときのお話です。

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母の日に、仕事を終えたお母さんが帰宅して、リビングのドアを開けたら、小学生の娘と息子がお父さんと協力し合ってカレーライスとサラダをつくってくれていたとしたら、その瞬間にお母さんはどんな気持ちになりますか?

その日の夕食のテーブルは、どんなに楽しいものになるでしょう。

お母さんは「帰って急いで夕飯の仕度をしなければ・・・」という期待ゼロの状態から、子供たちの手料理という「いい意味で期待を裏切られた」結果が待っていたのです。

それは嬉しかったことでしょう。

もし、お父さんがお母さんに予告していたとしたら、その嬉しさは半減してしまいます。

これがサプライズというものです。

一方、テレビや雑誌に紹介された人気のラーメン屋さんに、1時間並んでやっと入ることができたのに、店員は横柄で無愛想、やっと口にすることができたと思えば、期待はずれの普通の味だったとしたらがっかりします。

「二度と来るものか」と思うはずです。

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「選ばれる理由」
武井則夫 著
現代書林より
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感動は、事前に期待しているモノを、上回ったときに起こります。

00526431s@merumo.ne.jp

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期待値+α!
これですね。

おしまい。

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今日は 輝く未来ビトさんから
【たった一度の人生だから、命を懸けてもいいんじゃないかな】

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「悪魔の兵器」そう呼ばれる兵器がある。

「地雷」だ。

小さく音もない、安価なその兵器は、

現在世界120ヵ国に1億1千個以上も埋まっており、

年間約3万人が被害を受けている。

中でも致命的な殺傷力を持たない対人地雷は、

人々の手足を奪い、生かさず殺さず傷つけることによって

長期に渡る苦しみを与えることを目的として開発された。

身体の自由を奪い、仕事を奪い、経済的な負担を負わせる。

被害者の40%は子どもとも言われる。

子どもたちは、未来の国を支える財産だ。

その子どもたちが地雷による被害を受けることは、

国全体にとっての損害ともなりうる。

なぜなら、当事者だけでなく、支える家族

しいては国全体を疲弊させ、復興への意欲を削ぐ、といわれるからだ。

そんな地雷除去に立ち向かう一人の日本人がいる。

地雷除去機を開発した、山梨日立建機(株)(現:日建)社長:雨宮 清、その人だ。

中学の社会科、高校の現代社会の教科書で

「世界で最もよく知られている日本人」「世界に誇る日本人」

として中高生達にもその名が知られている。

彼は言う。

「もの作りを通して、日本の魂を世界に届ける」と。

山梨の農家で生まれた雨宮さんは、

幼い頃から母によくこう言い聞かされ、育てられた。

「大人になったら他人に迷惑をかける事の無いようにしなさい。

陰ひなた(裏表)の無い(誠実な)人間になりなさい。

そして大きくなったら、人のために尽くしなさい」

満州引き揚げ組のご両親は病弱で、家計は苦しく、

中学を卒業すると集団就職で東京の機械整備会社に就職した。

3年間は、大変な下積み生活だった。

「仕事、というよりは丁稚奉公。

やらされたことは便所掃除や作業着の洗濯、道具の手入れがほとんど。

3年間はボルトひとつ回させてもらえなかった。

食事にしても寮の先輩がみんな食べちゃうから、

ぼくらに回ってくるのは冷えた飯と具のない味噌汁だけ。

おかずはほとんど食べたことがなかった」

その時の苦労が、モノづくりへの執着心を育んでいった。

そして、地元・山梨で独立した。

雨宮さんがはじめて「対人地雷」の恐ろしさを目の当たりにしたのは、カンボジアを訪れた時のことだった。

内戦が終わった直後の1994年、内戦の傷跡も癒えない頃だった。

中古の建設機械の販売チャンスを狙って訪れた首都プノンペンの市場周辺には凄まじい数の避難民がいた。

地雷によって被害を受けた人々だった。

そこで一人の負傷した女の子を連れた、年老いた女性に出会い、こう言われた。

「あなた日本人でしょ、この国を助けてください」

その時、雨宮さんの脳裏に、母親から言われてた言葉が蘇ってきた。

「人のために尽くしなさい」

雨宮さんは思った。

「地雷に遭う前に、早く取り除くことが、人を助けられるな、

これはおれがやろう。

これこそ日本人の技術で、この国を復興できないだろうか」

地雷の知識は皆無だった。

だから、帰国後すぐに、地雷専門家や政府、関係機関など、

あらゆる場所に赴き、地雷について学び始めた。

そして、確信した。

「安全に地雷を取り除くには、自分が今扱っているショベルカーが一番だ」と。

早速、社内に対人地雷除去機の開発プロジェクトを立ち上げた。

社員数60名の会社にとっては大きな経営リスクだった。

「田舎の小さな町工場にも国際貢献の道がある。世界の地雷と闘わせてほしい」

リスクもあったが、想いが上回った。

それから4年後、98年に1号機が完成した。

それは手作業による地雷除去の20倍の効率を実現した。

9億を超える経費もかかり、自らの財産もなげうった。

それでも、社員は雨宮さんについてきてくれた。

ところが、完成した除去機をを納入したところで、信用がなかった。

「信用得るまでにはどうするんだろう。

おれがやるしかねえな。おれが乗ってやる。

おれがやってみせるから、おれが安心だと思ったら、安心してくれ」

自ら地雷原で1号機を運転し、次々と地雷を除去していった。

実験処理中の地雷の爆発の影響で、片方の耳の鼓膜が破れてしまうこともあった。

後に、その機械は、カンボジアで39台導入され、

46万個を超える地雷を除去した。

そして、2007年からは、単に地雷を除去するだけでなく、

農地復興も行える、すきを装備した地雷除去機も開発した。

「地雷を除去した後の荒れ地を、実り豊かな農地に変えたい」

そんな強い願いが込められていた。

1号機を納入してから17年がたった。

かつての地雷原は今、見渡す限りの畑に生まれ変わり、

人々が生きていく上で欠かせない実りの大地となった。

雨宮さんは言った。

「人間として生まれた以上、彼らにも生きる権利があるはずですよ。僕らも生きる権利ある。

これを、われわれの技術力で、生きられる場をつくってあげたら、

格好良く見られるんじゃないかな。

日本人ってすげえなって思ってくれるよね。

日本の文化、技術力を、彼らのために提供してくっていうことが、

おれは日本の発展になると思ってるね。

人生、いつか死ぬからね。

一生のうちに命を懸けてもいいんじゃないかな、

そういう風にに思ってますよね。」

それでは、愛と笑顔と感謝、そして幸せに満ち溢れた一日を♪

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素敵な生き方してますよね。

おしまい。

magoの挑戦。

magoはヘアーサロンです。
髪を切って、心が晴れ晴れするサロンでもありながら、コミュニティーの場でもありたい・・・と、日々頑張っています。

これからも、日々得た情報を、magoフィルターを通してお伝えさせて頂きます。
ブログに掲載する内容は、色々な方から得たお話です。

今日は 人の心に灯をともすさんから
【考えない工夫とは】
浜松医科大名誉教授、高田明和氏の心に響く言葉より…

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悩み、後悔、過去に受けた仕打ちへの怒り、憎しみ、悲しみ、未来への不安など、心に重くのしかかるものを抱きながら生きている人が多いと思います。

それを回避して心が楽になるには過去や未来のことを「考えない」のがいちばんです。

しかし、「考えない」ことは容易ではありません。

「考えない」ということはいつも考えないということではないのです。

考えないだけなら、眠ればよいのです。

ブッダも「考えない工夫」は石のようになれということではないとして、当時、苦行によって無念無想になろうとしていた修行者たちを批判されました。

ブッダ自身も最初はそのような境遇をめざしたのですが、それが心の安泰をもたらすものではないことに気づかれたのです。

「考えない」というのは、たとえば仕事など、ほかのことをしている最中にいろいろ思い出したり、考えたりして心を乱さないということです。

友人との語らいのとき、あるいは楽しかるべき家族団らんのときなどに、集中できず、上の空になってしまっておもしろくない思いをしないということです。

江戸時代中期に活躍し、日本の禅宗の中興の祖とされる白隠禅師は「道中の工夫は静中の工夫にくらべ百千倍勝る」といっておられます。

「道中」とは仕事中ということ、「工夫」とは考えないようにすること、「静中の工夫」とは座禅の最中に考えない工夫ということ。

つまり日々の生活や仕事中に考えないようにすることは、座禅の最中の考えない工夫よりもずっと勝っているということです。

仕事、あるいは団らん、あるいは人とのつき合いなどがうまくいゆくには、そのとき、心ここにあらずではいけません。

余計なことで心を乱さないことが大事だから「考えない」ことが大切になるのです。

『人生の目的は「心が楽になること」』新講社

たとえば、誰かと話をしている最中に急に、相手が携帯をいじりだしたり、外の景色を見ていたとしたらどうだろう。

自分の話は何も聞いていないな、自分はないがしろにされているな、と感じる。

誰かと会っているときは、その話題に集中し、その場を楽しむこと。

即今という、「ただ今」に集中すること。

「喫茶喫飯随時過(きっさきっぱんときにしたがってすぐ)」という禅の言葉がある。

お茶を飲むときはお茶を、食事をするときは食事を、目の前に出されたものをただ無心に味わう。

「心ここに在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず」という『大学』の中の言葉も同じだ。

心がここにないとき、上の空のときは、どんな素晴らしいものを見ても見逃してしまうし、それがあったことさえ気づかない。

どんなにいい話を聞いても耳に入ってこないし、どんなに美味しいものを食べてもそれを味わうことができない。

「考えない工夫」とは、何か一つのことに没頭(ぼっとう)すること。

仕事に没頭しているときは、余計なことは考えない。

心が、上の空だったり、ふわふわして集中していない時は、余計なことを考えてしまう。

目の前のことに集中し、そこに全力を尽くしたい。

■「人の心に灯をともす」

http://merumo.ne.jp/00564226.html

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目の前の事に、深く集中ですね。

おしまい。

magoの挑戦。

magoはヘアーサロンです。
髪を切って、心が晴れ晴れするサロンでもありながら、コミュニティーの場でもありたい・・・と、日々頑張っています。

これからも、日々得た情報を、magoフィルターを通してお伝えさせて頂きます。
ブログに掲載する内容は、色々な方から得たお話です。

今日は 人の心に灯をともす から
【自分をあと回しにできる人】
心理カウンセラー、植西聡氏の心に響く言葉より…

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ドイツの劇作家であり詩人であったシラー(18~19世紀)は、
「勇気ある者は、自分をもっともあと回しにすることができる」と述べました。

ある大手企業の経営が行き詰り、このままでは倒産という危機的な状況に追い込まれました。

もし倒産してしまったら、社員は働いた分の給料をもらえません。

取引先や顧客から何か責任を押しつけられて、社員自身が困ることになるかもしれません。

そんなことを心配して、社員は次々とその会社を辞めていきました。

経営幹部も我先にと会社を去っていきました。

そんな中で、一人だけ会社に残った幹部がいました。

その会社は結局倒産してしまったのですが、その幹部は無給で残務処理に当たり、また行き場を失った社員の再就職先を世話してまわりました。

この人などは、シラーがいう「勇気ある人」といえます。

危機的状況になった時には、自分の人生の安全を保障するためにそこから早く逃げ出す、という生き方もあるのかもしれません。

しかし、自分一人だけは最後まで残り、他人の人生の安全を保障してあがるために力を尽くす、という生き方もあります。

そういう生き方を選べば、もちろん自分自身が損をし、困難をこうむることになります。

しかし、それを覚悟のうえで、他人のために尽くす、という生き方もあるのです。

結局は、そういう生き方をする人があとあと、「勇気ある人」と大勢の人から尊敬を集められると思います。

『覚悟のコツ』リンダパブリッシャーズの本

「ノブレス・オブリージュ」というフランスの規範がある。

社会的地位の高い者は、それに見合った義務を負う、という意味だが、危険を承知で、損の道を選ぶこと。

これは、地位の高い低いによらず、人として大事な資質。

危機的状況になった時にこそ、人間の本性が表れる。

自分をあと回しにできる人もいれば、反対に、われ先に逃げだしたり、他人のせいにしたり、言い訳したり、自分のことしか考えない人もいる。

「勇気ある者は、自分をもっともあと回しにすることができる」

勇気ある人を目指したい。

■「人の心に灯をともす」

http://merumo.ne.jp/00564226.html

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いざと言うときの行動が素敵でありたいですね。

おしまい。