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magoの挑戦。

magoはヘアーサロンです。
髪を切って、心が晴れ晴れするサロンでもありながら、コミュニティーの場でもありたい・・・と、日々頑張っています。

これからも、日々得た情報を、magoフィルターを通してお伝えさせて頂きます。
ブログに掲載する内容は、色々な方から得たお話です。

今日は 輝く未来ビトさんから
【それを試される時がやってきた】

大好きな神奈川の兄貴・田尻賢さんのメルマガ
『田尻ちゃんの~チャレンジ・応援・恩送り~』( http://merumo.ne.jp/00583354.html )

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お子さんをお持ちのお母さんなら、きっと嬉しくなるだろうし、
お子さんのいるお父さんも、お母さんのことを理解できるだろうし、
人に関わるときにも、学べることがあると思うし、
日常の大切さも、僕は感じました♪
~~~~

昨日、近くのショッピングモールで
赤ちゃんを抱っこして
5歳くらいの男の子を連れたお母さんをみた。

男の子はぐずってて、お母さんは鬼の形相。

ものすごい剣幕で男の子を叱り
ほらっ!いくよっ!って
腕を引っ張るも男の子ギャン泣きで動こうとしない。

それこそモール中に響きわたるすごい泣き声。

お母さん、キレて

いいかげんにしてよっ!って

思わず男の子のほっぺたを平手打ち。

ばちーん!!

それをみていた私も思わずビクッとした。

やだー、子供かわいそ~

虐待じゃないの?

通報する~?

ってヒソヒソと声がまわりからもあがり
私はお母さんどうするのかなー
ってみていたら(基本はほっとくので)

そこへ、ひとりのご年配の
おばちゃまがやってきて
 
「まぁまぁ
 お母さん、たいへんやね~」
 
って声をかけた。

てっきり

子供になんてことするの!やめなさい!

って、止めるのかと思いきや

こんな言葉をお母さんにかけた。
 
「お母さんも本当にたいへんやね~。
 赤ちゃん生まれてから
 ちゃんと寝てないんでしょ?
 そりゃイライラもするわねー。

 (男の子に向かって)

 ぼく?ぼくも頑張った頑張ったねー。
 よく泣いたね、偉い偉い!

 きっと赤ちゃん生まれてから
 お兄ちゃんだから我慢しなさいって
 ずっと頑張ったのよねー。

 あー、偉い偉い!

 お母さんもぼくも、ふたりとも偉い偉い!」
 
って、男の子とお母さんの頭を撫でて
その場を去った。

お母さんは男の子をだきしめ
その子以上に泣きくずれた。

ショッピングモールの通路の真ん中で
お母さん、わんわん泣いてた…。

誰かがそっとお母さんに
ティッシュをさしだした。

私、何もできなかった。
その間、時間にしてほんの3、4分のこと。

私、何もできなかったなぁ。

お母さんに声をかけることも

男の子に声をかけることも

ティッシュを差し出すことも

そして、あのおばちゃま、すげ~な!って
軽く嫉妬した。(いや、かなり嫉妬した!)

私たちは、その場だけをみて
判断してしまう。

子供を殴るなんて、酷い母親だ。

歳はもいかない幼い我が子を
人前で殴るなんて最低の母親だ。ってね。

虐待や幼い命が危険にあって
騒がれている昨今なのでなおのこと。

でも、母親のあなたなら
一度は経験はないだろうか。

赤ちゃんが生まれて
ものすごくたいへんで
やっとのことで買い物にきて
フラフラになってるところに
上の子はやんちゃを言って困らせる。

一刻も早く帰りたいし
人前で騒がれてきまりも悪い。

思わずイラついて怒鳴ってしまう。

挙句の果てには
虐待とか酷い母親とかで責められる。

お母さん、泣きたかっただろうね。

子育て中のお母さんの記事を
過去にもいくつか書いてきたけどね。

こういう場面をみるたびに
何があっても暴力を振るうなんて
絶対許されることではない!
と言う方もいるが

子供と一緒に声をあげて泣いてる
お母さんをみたら
いかに子育てがたいへんか
少しはわかってあげられるのかもしれないな。

このお母さんは
人前で泣けたからまだ良かったな。

きっと泣けないお母さんが
たくさんいるんだろうな。

どうしていいかわからず
思わず子供に手を上げてしまい

夜、寝顔を見ながらひとりで
誰にも知られず心を痛め
罪悪感に押しつぶされそうな
お母さんがたくさんいるんだろうな。

しかし、お母さんのみならず
小さいお兄ちゃんにも声をかけた
あのおばちゃま、すげ~な。

私だったらそこまでできなかった。

お母さんに大丈夫よ、って
優しいっぽい声をかけてあげても

小さいお兄ちゃんにまで
気持ちはまわらなかった。

よく泣いたね、偉い偉い!

どこからそんな言葉が
咄嗟に出てくるんだろうか。

ああ、かなわないな。

私、まだまだだな。

基本はほっとくんです。

だって人の家庭のことだもの。

知らない人のことだもの。

子供にイライラするなんて
よくあることだもの。

そりゃ命に関わることなら
割って入るかもしれないけど。

頼まれたわけでもないし
それこそ余計なお世話だし
他人が口を出すことじゃないし。

なーんて、カッコつけてんじゃねーよ
私!!!

なーにをわかった風なことを言ってるんだか。

口だしゃいいんだわ。

どんどん割ってはいればいいんだわ。

時と場合によるけど
その時の状況にもよるけど
そこは私が判断すればいいことだわ。

あーーーっ!ちっちぇーな、私。

あーーーっ!あのおばちゃまみたいに
さらっと力を貸せる人になりたいな。

そうだ、そうだった。

目の前に起きる現象は
すべて私に必要なことだった。

ちゃんと勉強させてもらったんだな、私。

赤ちゃん抱いてるお母さんも
泣いている男の子も
すてきなおばちゃまも
とりまく人たちも

全部、私なんだな。

そうだ、そうだったんだな。

(出典元:いつでもPICOといっしょ)

目の前で起こった、
ほんの些細な出来事だったのかもしれません。

もしかしたら、日常的に
日本のあらゆる場所で起こっていることかもしれません。

で、その日常の些細な出来事の中から、
実は、学ぶことはたくさんあったりする。

それを受け取るには、

自分に備わっているアンテナを
チューニングできていないと、

受信できるものも、
受信できなくなってしまう。

PICOさんの受信力にも、感嘆!!

そして、声を掛けてあげたおばあちゃまもきっと、
人の心に寄り添う、ものの見方や捉え方を
日常的にしているんだな、きっと。

いきなり、できることじゃない。
日常的にやっていなければ、できないことを。

日々、どんなものの見方や捉え方をしているか。
日常の中で鍛えていなければ、
肝心な時に、できるはずがない。

そして、日々やっているからこそ、
それを試される時がやってくる。

それでは、愛と笑顔と感謝、そして幸せに満ち溢れた一日を♪

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年の功ならではの対応力でしょうかね。

おしまい。

magoの挑戦。

magoはヘアーサロンです。
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今日は 人の心に灯をともす さんから
【実践者になること】
小林正観さんの心に響く言葉より…

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「正観さんのお話を聞いて、1週間ぐらいは調子がいいんですが、すぐ忘れてしまいます。ずっと忘れないようにするには、どうしたらいいでしょうか」という質問がよくあるのですが、忘れないためには、どうすればいいか。

それは《実践をし続ける》ことなのですね。

「いい話だったなあー」で終わってしまうと、3日後ぐらいには忘れていますけど、毎日、「ありがとう」を言い続けたり、トイレ掃除をし続けたりすることで、目の前にいろいろな奇跡や思いがけない現象が起きてきます。

自分も元気になるし、仕事も人間関係もスムーズに流れ出しますので、実践するのが楽しくなるのですね。

話の内容を忘れないためには「忘れないぞ」と気合を入れるのではなく、実践をし続けることですね。

すると、面白い現象があまりに頻繁に出てくるので、引き続きやりたくてしょうがなくなります。

私の中には「やらなければならない」というのはまったくなくて、「ありがとう」を言うのも、トイレ掃除をするのも全部損得勘定ですから。

損得勘定でやると続くのです。

どんなに下心があって、野心があったとしても、実際にそれをやった人を《実践者》と言います。

例えば、電車に乗っていて、おばあさんが乗ってきた。

ある男は、おばあさんに席を譲ってあげたいと思った。

自分の中では、人によく思われたいとか、評価されたいとかはまったくないけれど、人の目が気になって、席を譲ると恥ずかしい気がして譲らなかった。

それに対して、もう一人の男は、おばあさんが乗ってきたとき、目の前にきれいな女の人がいたので、この女性によく思われたいと思って、邪心と野心の塊で席を譲ったとしましょう。

さて、邪心の塊で席を譲った男と、すごく美しい心で席を立てなかった男と、どちらを神さまが喜んでいるだろうか。

多分、席を立った男のほうに微笑(ほほえ)みかけているのではないかと思うのです。

動機はどうであれ、席を譲った瞬間に、宇宙に一つ《喜ばれること》が生まれたのですから。

邪心や下心がまったくない人というのは、神の領域ですから、肉体を与えらえてはいません。

人間としては卒業してしまっている。

肉体を持っているということは、人間としての様々な体験をまだしたいということですから、損得勘定でやっていくことは、とても自然なことだと思います。

100%美しい心でやっていこうと考えなくてもいいですから「究極の損得勘定ができる人、究極の欲深い人になってください」と伝えています。

宇宙構造を40年研究してきて、損得勘定でないものは、どうもないようです。

どのような分野でも、人に喜ばれるような生き方というのは、すべて自分にとっての損得勘定で言えば“得”になっています。

人に喜ばれることをして自分が圧倒的に損だ、ということはないのです。

さらに言えば、みんながいやがってしたくないようなことは、一単位あたりの“得”の密度が高いみたいです。

トイレ掃除は、その最たるものです。

そういうことを実践している人が何かを始めようとすると、あっという間に支援がきます。

それは、その人が望みを実現させようとか、目標に到達しようとがんばっているわけではなくて、ただ毎日“徳”を積んでいるだけなのです。

まさに、人徳の“徳”とは、損得の“得”なのです。

『なぜ、神さまを信じる人は幸せなのか?』イースト・プレス

心の中で、どんなに善きことを考えていたとしても、それが実行に移されなかったら、それはないのと同じ。

「ありがとう」という感謝の言葉も、「笑顔」も、「気くばり」も、「優しい言葉」も、「席をゆずること」も、心で思っているだけなら、ただの絵に描いたモチにすぎない。

どんなに強烈に願おうと、深く想おうと、それは同じこと。

たとえば、喫茶店で注文するとき、どんなに強く心の中で「紅茶が飲みたい」と願ったとしても、「コーヒーください」とひとこと言ったらコーヒーが出てくる。

神さまも同じで、心の中がどうであれ、現象として現れた「言葉」なり「行動」を評価するという。

よき実践者をめざしたい

■「人の心に灯をともす」

http://merumo.ne.jp/00564226.html

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行動が全てですね!

おしまい。

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今日は 輝く未来ビトさんから
【その娘の姿は、母の姿だった】

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  数ヶ月後に出産を控えた娘から電話があった ―

数年前、そんな書き出しで、とある全国紙の読者欄に、50代の女性の投稿が寄せられていた。

娘さんは、電話口の向こうで、母にこう告げた。

「お医者さんから、胎児に異常があると言われた」

娘の泣く声が聞こえてきた。

そんな娘が不憫に思えて、母親である彼女は中絶を勧めた。

しかし、娘さんはこう言った。

「診察のとき、画像に映る赤ちゃんの心臓の鼓動にいとおしさがこみ上げてきたの。
産んでもいいでしょ。
障がいがあるからといって、なぜこの子を産んではいけないの?」

1週間後、娘さんが里帰りした。

電話口で泣いていた娘とは打って変わって、気丈に振る舞う姿に、母は驚いた。

娘さんは笑顔でいった。

「お腹の子はね、親を選んで生まれてくるんだって。
私たち夫婦は優しいから選ばれたんだよ」

母親の耳にそれは、娘が自分自身に言い聞かせているように聞こえた。

2、3日実家に滞在した。

そして嫁ぎ先に帰る前日の夜、娘さんはこう言った。

「お父さん、お母さん、初孫が障がいをもっていてごめんなさい」

そういって、深々と頭を下げた。

「この一言を伝えたくて里帰りしたのだ」

と、母は悟った。

その言葉に娘の覚悟を知った。

あの気丈に振る舞う娘の姿は、

「産んで育てる」という覚悟をした母の姿だった。

我が子の大変さばかり考えて、今お腹の中で必死に生きている生命の尊さを見失っていた。

母親は安易に中絶を勧めた自分を恥じた。

そして、こう綴った。

「私も腹をくくった」

愛とは、まさに覚悟なのだ。

その重みを考えると、気軽に、気安く、「愛してる」なんて
表現できるものではないのかもしれない。

まだ、「愛」とか「愛する」という概念がなかった昔から、
親はそんな言葉を使わなくても、「愛する」という言葉以上の愛情表現を
その生き様の中で魅せていた。

それが覚悟だった。

つらくても、怖くても、貧しくても、
自分の命に代えてでも守り抜くという覚悟は、
未来永劫、親から子に受け継がれていくのだろう。

(みやざき中央新聞2624号・社説より)

それでは、愛と笑顔と感謝、そして幸せに満ち溢れた一日を♪
【輝く未来ビト】 
00576250s@merumo.ne.jp

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母親の強さとは、全てを受け入れる覚悟にあるんですね。

おしまい。

magoの挑戦。

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今日は 人の心に灯をともす さんから
【おもしろいことって、待ってるだけじゃ起きない】
斎藤一人さんの心に響く言葉より…

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千葉の神崎にある、「ゆうゆう」さんという喫茶店に行ったとき、そこの店主の妹さんが、こんなこと話してたの。

「わたしはね、来世、ディナーショーを開きたいのよ」

要するに、歌をうたって聴かせたいんだ、ということなんだ。

オレ、その話を聞きながらね、「なんで今、ディナーショーやんないの?」って。

やりたいことを来世にとっておく必要が、どこにあるんだろうか。

ディナーショーは歌手がやるもの、みたいな観念があるんだよ。

世の中、歌でも絵でも、なんでもそうだけど、天才みたいな人がいるでしょう。

ウマさでいったら、素人は天才にはゼッタイ勝てないの。

だけど、素人がやることだから、みんなで楽しめる、ということが成功なの。

それを、素人だからディナーショーは無理だと言う。

盛り下がるようなこと言わないでよ、って(笑)。

それでオレ、「ディナーショー、今年やっちゃお!」って、妹さんに言ったの。

そしたら、すぐ、その場で仲間が電話したら、ついてることに、成田のホテルを借りられることになって、翌月にディナーショーをやることになった。

当日はね、市長さんや町長さん、いろんな人がきて、まぁ、にぎやかで楽しくて、歌もすばらしかったしね。

オレね、その日、はじめてその人の歌を聴いたの。

それまで一回も聴いたことないのに、「ディナーショーやりな」って(笑)。

でも、あのとき「やろう」と言って、よかったと思う。

だってさ、そこの会場にいた人たち、みんな、ニコニコ楽しそうにしてたし、本人もスゴくしあわせいっぱいな顔しててさ。

それ以来、年に一回ディナーショーをやるようになったんだよね。

な、人間って、おもしろいだろ。

たった一個のシバリをとってあげただけでも、あとは勝手にスイスイ、スイスイ、行っちゃうんだもんな。

いつも、言うことだけど、おもしろいことって、待ってるだけじゃ、まず起きないからな。

ものって、自分から起こしていくものなの。

自分がまずおもしろいことやって、おもしろく生きるんだよ。

自分がおもしろいことはじめたら、おもしろい人たちが集まってくる。

だから、ものっていうのは、「やる」ことが先なの。

ウチのみっちゃん先生(一人さんの弟子の一人で、まるかん社長のみっちゃん先生)だって、オレが「先生」ってつけてから、なんの先生になるかを考えたんだから(笑)。

とりあえず、「先生になる」が先なんだよ(笑)。

で、あとから「なにやる?」ってみっちゃんに聞いたら、「占いやりたい」って言ったんだよ。

だから、占いをやって、みっちゃん先生になったんじゃないの。

「みっちゃん先生」という名前をつけてから、なにをやるかを考えたんだよ。

ともかく、やればいいの。

この星は行動の星だから、行動しないと、なにもはじまらないんだから。

『人生に成功したい人が読む本』PHP研究所

ひすいこたろうさんは、まだ駆け出しの頃から名刺に「天才コピーライター」という肩書をつけていたという。

今では、著作累計60万冊以上というベストセラー作家となった。

先に、自分のなりたい肩書やサブタイトルをつける。

すると、「名は体(たい)を表す」というように、不思議にその名前やタイトルにぴったりの人になってくる。

毎日、自分に宣言していることになるからだ。

楽しく生きてる人は、自分で楽しくしている。

暗く生きている人は、自分で暗くしている。

おもしろそうに生きている人は、自分で人生をおもしろくしている。

決して他人に、つまらなくさせられたり、暗くさせられている、などということはない。

「おもしろいことって、待ってるだけじゃ、まず起きない」

自ら行動を起こす人でありたい。

■「人の心に灯をともす」

http://merumo.ne.jp/00564226.html

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行動あるのみですね。

おしまい。

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【言葉一つのこころ配り】
医師、鎌田實氏の心に響く言葉より…

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「頑固だからがんになるんだ」と医師に言われた乳がんの患者さんは、医療なんか受けたくないと思ったそうです。

言葉一つが生きる力を奪うこともあるのです。

反対に、言葉一つが命を支えることもあります。

私たちの病院に来られた患者さんの話です。

「十一年前に手術を受けてから体調が思わしくなく、病院にお世話になることが多いのですが、これまではお医者さんや受付の人の不親切さに傷つく思いをするばかりでした」

それで私たちの病院に興味を持って、わざわざ診察に訪れたそうです。

そして初診の際、一番最初に医師に言われた言葉に、その女性患者さんは感激し、涙が出そうになったといいます。

その言葉とは、「長い間、大変な思いをしてこられたのですね」という一言でした。

どんな検査や薬よりも、辛い思いを受け止める一言が、命を支えることがあります。

「お医者さんにそのようなことを言われたのは初めてですし、診察に時間をかけていただき、納得のいく説明をしていただいたのも初めてのことでした。

日本にもこのようなあたたかい医療があることを知って、希望が持てました」

ほんの言葉一つのこころ配りなのです。

焼き鳥屋の親父さんが、「お疲れのようですね。これサービスです。元気出してください」と、一皿余分に出してくれたら、お客さまは嬉しいはずです。

きっとその店の常連客になるでしょう。

住宅メーカーの営業マンは家を売れば仕事は終わりではなく、その後「住み心地はいかがですか」という電話一本をすることが、お客様を感動させ、つながりを強くするのです。

私がよく利用する丸の内ホテルでは、荷物を玄関のところでドアマンが受け取り、部屋に運んでおいてくれます。

部屋で荷物を確かめると一行書きの手紙が付いており、そこには、“お越しいただきありがとうございます。鎌田さまの笑顔にいつも学ばせていただいています”と書かれていました。

たった一行でもホスピタリティのこころは通じるのです。

『超ホスピタリティ』PHP

鎌田氏がまだ青年医師だったころ、がん末期の女性患者さんの回診を終え、いつものように「がんばりましょう」と励まして病室を出ようとしたそうだ。

そのとき患者さんの頬を伝う涙を見て驚いたという。

彼女は「先生、今日までがんばって、がんばってがんと闘ってきました。もうこれ以上がんばれません」、と。

「がんばって」ではなく、「がんばってるね」。

たった一言が、相手の心を明るくもし、元気づけることになる。

言葉は凶器にもなるし、人を生かす道具にもなる。

「言葉一つのこころ配り」

あたたかで、人を元気づける言葉を使う人でありたい。

http://merumo.ne.jp/00564226.html

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共感の心を磨きたいです。

おしまい。

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今日は たすいち さんから
『 5年の風呂通いで・・』

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中村文昭氏は
野菜の行商で、
師匠と共に生活し
東京で、飲食店を5店舗立ち上げながら
生き方を学んだ

三重に凱旋帰国

独立して出した店は
売り上げ絶好調!

借金は半年で返してしまった

師匠との約束で
どんなに売り上げが上がっても
風呂なしのぼろアパートに住み
銭湯へ5年間は通い続けた

師匠は厳しい人だった

その後、2億も借金をして
ウエディングレストランを出店

売り上げは好調だった

「あんたにしかできない」

そう言われて、更に
カラオケ屋の立て直しに入った

2億も借金があるのに
さらに
5000万円も借金してしまった

調子に乗っていた

そして
キャッシュが回らなくなった

本店は利益が出ているのに
それだけではまかないきれなかった

消費者金融からもお金を
借りて
従業員の給料を、少し待ってもらって
ついには、
ヤク◯さんからも、借りた・・・

それでも支払いが追いつかない・・・

その月、
酒や野菜お肉などの
仕入業者からの請求書が来なかった

その次の月も来なかった

そのおかげで、
なんとか支払いをすることができ
会社は潰れずに済んだ

恐る恐る
聞いてみたら、
酒屋のオーナーが業者さんに
裏で口合わせをしてくれていたのだった

「俺は、文昭くん、君を応援するよ
君は、あれだけ商売儲かっていても
5年以上もぼろアパートから銭湯通いしていたね
何の為に使うかが大事だと言って
自分の私欲には走らなかったよね
お金は後で少しずつ返してくれればいい
君はこんなところで終わる人じゃ無い
とことん応援するよ」

中村文昭氏

何の為に使うのか

5年間続けていた風呂通いを
見てくれている人がいた

何の為に働くのか

それが伝わっていた

最後の最後で、
応援してくれる人がいたのだ・・・

何があっても応援してくれる人

あなたには何人いますか?

ピンチになった時
どれだけの人が応援してくれるか

天知る地知る

我知る人知る

徳積み重ねていきます!

押忍

a0001470170@mobile.mag2.com

~ ○ ~○ ~ ○ ~ ○ ~ ○ ~ ○ ~ ○ ~

初心を忘れない!

おしまい。

magoの挑戦。

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今日は 輝く未来ビトさんから
【その絵には全てが詰まっていた】

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その絵には、“絶望”が描かれていた。

“未来”も願っていた。

“強くありたい”とも望んだ。

その絵のすべては、少年の人生そのものだった。

鹿児島で小料理店を営む本田信作さんは、4つ上の妻・奈穂美さんと

2人で仲良く、店を切り盛りしている。

その店には、一人息子・紘輝くんが描いた絵が、所せましと並べられていた。

・・・どこにでもある、ごく普通の家族。

その家族に、今から13年前、“悪魔”が押し寄せた。

息子の紘輝くんの身に、悪性の“脳腫瘍”という悪魔が。

異変が起きたのは、紘輝くん7歳の時だった。

突然、激しい頭痛や吐き気を訴えるようになった。

170万人に1人が発症する「髄外腫(ずいがいしゅ)」という脳腫瘍だった。

大きさはすでに5cm、、、、いつ死んでもおかしくないと言われた。

その時、母・奈穂美さんはこう思った。

「 暗い井戸の底に落ちるような気持ちだったですよね・・

なんか一番引いたらいけないようなクジを引いたような・・

そんな心境だったですよね….. 」

手術は、13時間に及んだ。7歳だった紘輝くんは見事に耐え抜いた。

腫瘍のほとんどが摘出に成功した。

ただ、再発防止のため、抗がん剤や血液の細胞移植などの辛い治療は行わければならなかった。

紘輝くんはシャイで、自分の内面を絶対に見せない、、、そんな子だった。

ただ、唯一、本当の気持ちをぶつけるものがあった。

それが、画用紙に描く、「絵」だった。

手術後、「あくま」というタイトルのこんな絵を描いた。

削られた頭に目からは緑色の涙。

それでも、その「あくま」はピストルと剣を持って闘っていた。

・・・‥それは、病気と戦う自分自身を描いたものだった。

無事に退院した紘輝くんは、大好きな家族との時間を楽しんでいた。

それは2年ぶりのことだった。

退院してからも、強いものに憧れがあった紘輝くんは、

大好きな「ドラゴン」を題材にたくさんの絵を描いた。

そして、コンクールで賞を取るなどし、次第にたくさんの注目が集まっていった。

小さな胸は、希望でいっぱいだった。

それから、、、10日ほど経った頃だった。

母・奈穂美さんが、紘輝くんの右目の異変に気づいた。

再発だった。

1ヵ月後、紘輝くんは無菌室に入り、外へ一歩も出られない日が続いていた。

元気いっぱいだった紘輝くんの口数はめっきり減っていた。

「 頑張るのはよす・・ 耐えるだけじゃ。」

そう言うのが精いっぱいだった。

この頃描いた絵には「 死 」といった文字も書かれていた。

きっと葛藤があったのかもしれない。

絵を描く気力も無くしていた紘輝くんに、先生はまた、絵を描くよう勧めた。

「絵を描く効果なんてない」そう感じていた紘輝くん。

30分後・・・久しぶりにペンを握った。

苦しみにただ耐えるだけだった紘輝くんが1ヵ月かけて描き上げたのは、

【 負ケテタマルカ!!】

ギラギラと強烈に輝いた絵だった。

両親はその後、自宅から紘輝くんを通院させる決断をした。

余命わずかの息子が、その間、少しでも家族と生き生きと過ごせるように、と。

それからおよそ1年の間、家族でたくさんの思い出を作った。

たくさんの作品も書き上げた。

どれもが、愛に溢れた作品だった。

クリスマスが過ぎた3日後のことだった。

容体が急変した紘輝くんは、お母さんの胸の中で、眠るように静かに旅立った。

紘輝くんが亡くなってから1か月、母・奈穂美さんは家に閉じこもる毎日を過ごしていた。

奈穂美さんはその頃から、腰痛を訴えるようになった。

そして、絶望のどん底から這い上がろうとする夫婦に、さらなる悲劇が襲った。

奈穂美が子宮頸がんであることが判明した。

冷静に事実を受け入れた奈穂美さんは、検査から2週間後、息子が描いた絵を手に手術にのぞんだ。

しかし、ガンは予想以上に広がっており手術で切り取ることは出来なかった。

そして、末期がんであることが判明し、紘輝くんと同じく、抗癌剤と放射線治療が始まった。

2ヶ月後、病院でできる治療を終え奈穂美は紘輝と一緒に歩いた並木道を訪れ、

紘輝はこんな思いをして10年間頑張ったんだから自分も最後まで頑張りたいと言った。

そして、紘輝くんの絵に心を動かされた多くの人が店にあつまり、

奈穂美さんを中心に絵画展を開くことが決まった。

鹿児島市立美術館で

「本田紘輝 作品展 負ケテタマルカ!! 画用紙に描いた命の記録」

が開催され、4年間の闘病生活で描いた30枚の絵が飾られた。

それが思わぬ反響を呼び、全国各地へと広がり来場者は3万人を超えるまでになった。

紘輝くんは生前、将来の夢を、こんな風に語ったことがあったという。

「未来の子ども達はね、

どんどん友達を作ることがヘタになって

夢がどんどん消えてしまうの。

だから拙者(紘輝くんの自分の呼び方)は

子どもたちの未来の夢を守る仕事がしたいの!」

それから5年経ち、奈穂美さんは再び、店で働き始めた。

「たくさんの事を息子から学びました。

どんな苦しい状況にいても・・

生きたいと思うって事はそれだけ生きてるっていう事が

素晴らしいんだと思うんです。

嬉しく思ったり・・ 辛い気持ちになったり・・

生きてるからこそ、そうやって心で感じる事が出来るっていうのは

本当に素晴らしい事だと思いますね

すごく頑張った紘輝に負けないようにですね

・・・恥ずかしくないように

“ 負ケテタマルカ” で生き抜きます」

そう言いながら、笑った。

命と向き合った家族を10年間追った鹿児島テレビのディレクターは、

取材を振り返り、こう語った。

「たくさんの覚悟がありました。

たくさんの絶望がありました。

涙もたくさん流しました。

そして、ご家族からたくさんのことを僕たちは教えられました。

“どんなに絶望の淵に立たされても、きっとその先に希望の光がある”と。

今年も紘輝くんと出逢った病院近くの川沿いには満開の桜が咲きました。

その桜は可憐につつましく、その一瞬一瞬を精一杯、咲いていました。

人生は苦しいことや悲しいことの連続です。

それでも“強く強く精一杯、未来を生きてほしい”

ママと紘輝くんとパパ3人の、そんな強い思いを受けとめてほしい」と。

(「ママとぼくと信作と ~命と向き合った家族の10年~」

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今日も1日頑張ります!

おしまい。

magoの挑戦。

magoはヘアーサロンです。
髪を切って、心が晴れ晴れするサロンでもありながら、コミュニティーの場でもありたい・・・と、日々頑張っています。

これからも、日々得た情報を、magoフィルターを通してお伝えさせて頂きます。
ブログに掲載する内容は、色々な方から得たお話です。

今日は 人の心に灯をともすさんから
【自分から最も遠い人】
大前研一氏の心に響く言葉より…

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《「自分から最も遠い人こそ自分の人脈にする」…これが人脈作りの最大の要点である》

人脈作りは、自己改造の重要なテーマだ。

ところが、サラリーマンはしばしば「自分と近い人」を自分の人脈にしてしまう。

学校の同級生、先輩、後輩、サークルの仲間、同郷の人、同じ業界、同じ職種、取引先…。

こうした人たちと一緒にいると居心地が良い。

知識、体験、思い、価値観などを共有しているからだ。

だが、彼らから新鮮な情報は得にくく、視野も広がりにくい。

自分から最も遠い人こそ自分の人脈にする。

これが人脈作りのポイントだ。

日本人より外国人。

同世代よりも年の離れた世代、同性より異性、同郷人より出身地の異なる人、他業種、他職種…

「自分から最も遠い人」とも円滑にコミュニケーションできることは、サラリーマンにとって重要なセンスであり、彼らことが貴重な情報と理解をもたらしてくれる。

『大前語録』小学館

全て世にあるものは、二元対立の世界でできている。

善と悪、幸と不幸、運と不運、成功と失敗、明と暗、表と裏、朝と夜、生と死、苦と楽、好きと嫌い…。

自分とは対極にあるものを知るとバランスが取れる。

例えば、リアルな商売をしてる人が、通販のようなバーチャルな世界を身につける、というようなこと。

『人脈作りのポイントは、「自分から最も遠い人」を自分の人脈とすること』

これは、事業でも、勉強にしても、同じことが言える。

居心地のいい慣れた場所で、いつも同じメンバーで、同じことばかり話をしていたら、退歩しかない。

自分と違った世界の価値観も身につけたい。

人の心に灯をともす

http://merumo.ne.jp/00564226.html

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ハードルが上がりますね~!

おしまい。

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今日は魂が震える話より
『ありがとう、ありがとう、ありがとう』

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知的障害者を兄にもつ小学1年生の子(弟)の話です。

入学式の日、その子の席のとなりに、小児麻痺で左腕が不自由な子が座りました。

お母さんの心は揺れました。

この子(弟)は、家では知的な障害をもつ兄がいるためにいろいろ苦労して、学校では、小児麻痺のお友だちが横にいる。

なんてかわいそうなことだ、いっそ学校を転校させようかと夫婦で悩みました。

最初の体育のときでした。

手が不自由な小児麻痺の子は、着替えるのに30分もかかってしまいました。

時間がかかっても、先生は、何も言わずこの子を放っておくことにしました。

でも、二度目の体育の時間には、この子も他の子といっしょにきちんと並んで待っていました。

どうしてだろうと思った先生は、次の体育の前の休み時間に、そっと陰から見ていました。

すると、隣の子(弟)が、一生懸命に手の不自由な子が着替えるのを手伝ってあげていたのです。

そして、その子が着替え終わると、二人で校庭に元気よく駆け出していったのです。

先生は、やはり何も言わずに見守ることにしました。

七夕の日のことです。

ちょうど授業参観日でした。

先生は子どもたちに願い事を書かせて、それを教室の笹に下げておきました。

お母さんたちが集まったところで、先生は、一枚一枚、短冊を読んできました。

一年生ですから、「あのおもちゃかってちょうだい」「おこずかいちょうだい」というようなことが書いてありました。

その中に一枚だけ、こう書かれていました。

「かみさま、ぼくのとなりのこのうでをなおしてあげてください」

あの弟が書いたのものでした。

先生は、この一途な祈りを読むと、もう我慢できなくなって、あの体育の時間のことを、お母さんたちに話しました。

小児麻痺の子のお母さんは、子どもがどんなに教室で不自由しているのだろう、迷惑をかけているのだろう、

申し訳ないことをしてしまったと、教室に入れずに、廊下からじっと様子を見ていました。

が、先生の話を聞いたとき、突然、廊下から飛び込んできました。

教室に入るなり、ぺったりと床に座り、この弟の首にしがみついて絶叫しました。

「坊や、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう。

ありがとう、ありがとう、ありがとう。・・・・」

その声がいつまでも教室に響き渡ったそうです。

_______

「気くばりのすすめ(続)」
鈴木健二著
講談社より

00526431s@merumo.ne.jp

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素直な優しさを、持ち続けていたいですね。

おしまい。

magoの挑戦。

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今日は 輝く未来ビトさんから
【きっとイエスと言ってもらえる】

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アメリカ北西部に、長年にわたり売り上げナンバーワンを誇る一人のセールスマンがいる。

そのセールスマンは、脳性まひのため手足が多少不自由で、言葉がうまく話せない。

誰もが働くことは無理だと言った。

けれど、彼は決してあきらめなかった。

ワシントンDCのジョン・F・ケネディ・センターで、

聴衆が総立ちになってひとりの英雄に拍手を送った。

ワトキンズ社の訪問セールスマンである彼に向けて。

手足の動きや言葉が不自由であるにもかかわらず、

仕事で成功をおさめたからだ。

彼の生きる姿は、コミュニケーション障害を抱えた人々の

夢や希望や心意気を体現したものだった。

彼の名を、ビル・ポーターと言った。

1932年9月9日は、

アーネストとアイリ-ンのポーター夫妻にとって生涯最高の日だった。

夫妻は男の赤ちゃんの誇らしげな親となった。

難産ではあったが、珠のような坊やだった。

生後数ヵ月経つ頃だった。

夫妻は、何かがおかしいと感じはじめていた。

男の子の左手は、形は完全だけれど、いつも固く握りしめられたまま。

寝返り、おすわり、這い這いができない。

背中も湾曲し、こわばっていた。

母・アイリーンは、かかりつけの医師から、「脳性まひ」と告げられた。

専門家の多くが、ビルは通常の生活が望めないだろうといった。

知力の発達も遅れるだろうから、施設に入れたほうがいい、と。

ところが夫妻は、大事な坊やからひき離されるなんてとんでもないと思った。

息子は聡明な子だ。

この子の体を不自由にした病気についてできるかぎり学び、必ずこれを克服してみせる。

望みうる最高の水準に息子を育てあげよう。

二人はビルに人生を捧げることを誓った。

父・アーネストはセールスマンの仕事を辞めた。

息子の障害への理解や治療に役立つような仕事を、と、

障害児のための教育施設で働き始めた。

減った夫の収入を補うために、アイリーンは調理士として働いた。

二人は力を合わせてビルの訓練に力を注いだ。

アイリーンは、医師や友人や親戚のたび重なる忠告に逆らい、

幼い息子を施設に入れることなく自分の手もとで育てようと決意した。

16歳になったビルは、普通高校へ入学した。

4年後の卒業式で、模範生として、角帽とガウンを身につけた。

それはひとえに、母の信念の結晶だった。

「あきらめずにがんばりつづければ、どんなことでも実現できる」

そうアイリーンは信じていた。

【あきらめない】と書いた紙片をビルの洋服のポケットや弁当袋に忍ばせ、

いつでもビルの目に触れるようにした。

そして、その経験が、後のトップセールスへの道、

いや、ビルの人生そのものに大きく影響を与えた。

卒業式を終えて数日もしないうちに、父はビルにいった。

「仕事を見つけろ!」

外の世界に積極的に関わり、役立つ存在になってほしかったのだ。

ほどなく、ビルは、家庭用品を売り歩くセールスマンとなった。

家々のドアをノックして歩きはじめた。

時には、通りや公園で見知らぬ人に声をかけたりもした。

数ヶ月後、地元の支部で、売上一位に輝いた。

ようやく、社会のまっとうな一員になれた気がした。

ところが、2年もすると、商品が売れなくなっていった。

鍋やフライパンなどの日用品は、一度買うと、しばらく買う必要がなかったからだった。

「このままじゃダメだ」と思ったビルは、職を手放す決断をした。

雇用局へ毎日のように通い、職を探した。

ところが、自分の障がいが妨げにならないような仕事は、見つからなかった。

求人広告に載っている会社に電話もかけるが、途中で電話を切られるところが大半だった。

それでもビルは挫けることなく、電話をかけ続けた。

やがて、ワトキンズ社が面接に応じてくれた。

内心では、いつ断られるかと覚悟していた。

ところが責任者はひどくためらいがちにこう告げた。

「ためしに雇いましょう!」と。

1週間後、ブリーフケースを手に、

胸には希望をいっぱいに詰め込んで、

意気揚々と家を出た。

ところが、、、だった。

ビルの任された地域は、スラム街同然の地域だった。

階段は抜け落ち、家の壁のペンキは剥がれ、庭は荒れ放題。

昼間はほとんどの人が働きに出ているため、留守ばかり。

完全歩合のため、たとえ売り上げが上がらずとも、会社の損失にはならない。

だから会社は、誰も受けもちたがらない、商品の売れた実績のほとんどない区域を彼にあてがっていた。

だから、「ためしに雇って」もらえたのだった。

初日は何も売れずに終わった。

出掛けるときには高揚していた気持ちもしぼんでいた。

それでもビルは、家に帰ると、自分の売る商品について勉強を始めた。

商品を知れば、心から信頼できるようになり、

他の人に、その信頼感を伝えられるかもしれない、と考えた。

そして再び、古びた家々を一軒一軒ノックして歩いた。

粘り強く待って商談にこぎつけることも増えてきた。

でも、彼の話に耳を傾ける人は一人もいなかった。

「二度と来るな!」「何もいらない」「帰れ!」

そんな罵声を浴びる日々が続いた。

それでもビルは、毎日100軒の家を訪問し続けた。

身体障害のため、車の運転ができない。

だから歩くしかなかった。

不自由な身体で歩いた距離は、15km以上に及ぶ日もあった。

そして3ヵ月経つ頃、担当地区にあるすべての家をノックしていた。

毎朝彼は、「前日よりもたくさん売上よう」という決意とともに目覚め、

その前向きな姿勢を一日中保ちつづけた。

雨が降ろうがかんかん照りになろうが、毎日8時間、ドアをノックし続けた。

100軒のうち、運がよければ10軒に1軒は何かを買ってくれるようになった。

一日、5軒からしか注文がとれないときもあった。

「まずは自分の目標をはっきり見定めること。

目標の達成にむかう道筋には、すばらしい経験や想い出がある。

その目標が心から求めるものであるなら、

たとえ数歩の前進でも、大きな達成感を味わえるはずだ」

そう考えていた。

「次はきっとイエスと言ってもらえる。

ノーと言われたら、それは

提案や主張を少し修正して欲しいという要望だ」

そんな信念が彼を支え続けた。

ただ商品を売るだけではなく、

客の身の回りに何らかのトラブルがあれば、

親身になってサポートもした。

お客を大切にする彼の売り方は、次第に多くの人の心に強く響いていった。

朗らかで実直、前向きで暖かな人柄に、やがてお客はみな、心の扉を開いていった。

気づくといつの間にか彼は、

商品がまったく売れない最低営業エリアで、

成績トップのセールスマンになっていた。

それでも彼は休みなく毎日家を出た。

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目の前の事を一生懸命出来る人は素敵ですね!

おしまい。